米澤邸紹介リーフレット

長沼のお屋敷「米澤邸」のご案内

広大な敷地と建物群

米澤邸の敷地面積は 1,610 ㎡ (488 坪 ) で、ここに主屋、長屋門、家財蔵、米蔵、家畜小屋、作業小屋などの建物群が並んでいます。主屋の南側には濡縁から望む松の木等の庭園があり、西側にも奥座敷から眺める坪庭 ( 中庭 ) があります。敷地面積が比較的に大きい長沼地区の中でも飛び抜けて広く、「お屋敷らしさ」を誇っています。
敷地の周辺は広い畑が取り囲んでいますが、ここも米澤氏が所有する土地です。

上空から見た米澤邸

かつての侍屋敷の一角

長沼地域は 500 年前の戦国時代、武田信玄によって拓かれた城下町として栄え、上杉謙信との戦いの場となりました。米澤邸は当時の長沼城侍屋敷の一角に位置しています。北側と西側は外堀で囲まれていました。
1688 年 ( 元禄元年 ) から幕末までは天領地となり、北国脇街道が通っていました。防衛上の理由から道路は直角に曲がって作られており、米澤邸の位置はその道筋の中で重要な箇所と言われる角地です。いま長沼城跡の埋蔵文化財調査が実施されています。

緑色が侍屋敷 黒色は土塁 ★が米澤邸の位置
埋蔵文化財調査での出土品

盛り土をした敷地

堤防がなかった時代、長沼地域は頻繁に洪水氾濫に見舞われていました。流された土砂が積みあがった微高地に道路ができ、そこに家並みが形成されました。米澤邸の西側( 道路の反対側)を見ると、道路の高さまで敷地をかさ上げしていることがわかります。これは水害対策と考えられます。

主屋は200年以上前の創建

信州大学工学部建築学科の土本研究室の調査で、主屋は 1818 年 ( 文政元年 ) の創建であることが判明しました。建物の構造、屋根裏の上屋柱に書かれた墨書、欄間絵の漢文 ( 戌虎秋日 ) などから推定されました。その調査結果は野沢知佳氏によって修士学位論文にまとめられました。
米澤家の墓誌によると、先代は 1709 年 ( 宝永6年 ) にさかのぼりすます。3代目は 1780 年に、4代目は 1822 ~ 23 年にそれぞれ組頭、5代目は 1832 年に名主を務めています。江戸末期 (1800 年前後 ) において、米澤家は地域における有力な農
民でした。主屋はその当時に建てられたものです。

伝統構法で建てられている

茅や垂木と小屋束、桁行梁をつなぎ、屋根材の重さや揺れを小屋組で共有するようになっており、貫構造を生かした筋違をしています。ほぞの利用を主としており、小屋部分で免震構造となっています。素材の木が持つ特性を生かし、揺れに強いとされる伝統構法による加構です。
長沼地域で建て替えが多かったのは、1847 年 ( 弘化4年 )の善光寺地震後、明治時代の養蚕が栄えた時期、そして昭和のリンゴ栽培の普及期で、伝統構法による土壁の民家や土蔵が伝承され、長沼地域特有の景観をなしていました。

屋根裏の調査
図版は野沢氏作成

長屋門に刻まれた地域産業の遺構

2階建ての長屋門は 1893 年 ( 明治 26 年・天井の棟札より )に建てられ、壁面を覆う筋違、火打梁が見られ、在来工法ですが補強対策をとった耐震構造となっています。
土間には桑の葉を蓄える堀 ( プール ) があり、リンゴ保存用のレール ( コンクリートの台 ) が現存するなど、長沼の産業の歴史を物語る貴重な遺構となっています。

幾多の災害を乗り越えて今日に

主屋は善光寺地震、1941 年 ( 昭和 16 年 ) の長沼地震 ( 死者 5名、全半壊 144 戸 ) に耐え、度重なる水害 ( 明治時代だけでも 4 回 ) を乗り越えてきました。貫や土壁を破断させるしくみが功を奏しました。2019 年 ( 令和元年 ) の水害では 1.6 mの浸水に見舞われました。
長沼地域の土蔵は水害から逃れるため基礎を高くした土蔵がたくさん見られます。米澤邸の土蔵も高くしてあります。

「結」の力で長屋門の土壁を修復再建

2019 年 ( 令和元年 ) の台風 19 号災害で、米澤邸の長屋門の土壁は落ちました。翌 2020 年の春から秋にかけて5回のワークショップを実施し、延べ 250 人が参加して協働の力で修復再建しました。長沼地域では土壁の民家・土蔵が多く、被災したときは隣近所や親戚などとの「結」の力で立て直しています。その形を「再現」するものでした。

主屋も「結」の力で元の姿に

台風 19 号被災のあと、行政の施策を利用して公費解体する建物が続出しました。そんななか、長屋門の修復を契機に歴史を刻んだ主屋も協働の力で修復再建しようとの機運が高まりました。所有者の理解と協力のもと、米澤邸を直して地域のコミュニティー再生の場所として利活用しようとの取り組みが開始されました。

利活用提案ワークショップ

魅力にあふれた長沼地域

長沼には鎌倉時代からの歴史があり、小林一茶が長期にわたって逗留して十哲の弟子もいる文化の薫り漂う地域です。
里山を背景にした果樹園が広がって自然が満ちあふれる光景が見られ、かつて宿場町があって街道が残っています。狭い地域に神社やお寺もたくさんあります。土壁の民家・長屋門と土蔵群は、長沼地域に独特の景観を醸し出しています。魅力にあふれた地域なのです。

宿場の写真(長沼大町区)

被災を乗り越えて新しい「まちづくり」へ

被災を乗り越え、住民の手による「まちづくり」が始まっています。住民自治協議会のなかに「まちづくり委員会」が組織され、住民の力を合わせた取り組みがなされています。

お屋敷保存会の事業

お屋敷保存会は、お屋敷「米澤邸」を拠点に、そこでの人々の「ふれあい」を演出するとともに、長沼の魅力を内外に発信し、新しいまちづくりに寄与すべく各種事業を展開しています。

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