ごあいさつ

令和元年東日本台風(19号)に伴う豪雨により、尊い人命や住民の財産が失われる甚大な被害が発生し、千曲川が70メートルに渡って決壊した長野市長沼地区では、長野県全体の全壊被害棟数の6割以上にあたる住宅が被災しました。

今回の災害に限らず、水害常習地であった長沼地区は、かつて長沼城と北国街道長沼宿があり、江戸時代には北信濃の物流・文化の拠点として農業を主業に発展し続け、昭和20年代のリンゴ産業の好景気時代には建築された建物(土蔵や立派な庭を持つ)が連なる情緒あふれる景観を形成していた地域でした。

災害直後から、7万人規模のボランティアによる泥出し、片付けなどの復旧作業が進み、住宅再建への足掛かりが出来つつありましたが、一方で公費解体制度の適用により、修復可能な家屋の解体に拍車がかかるという一面もありました。

そうしたなか、かつて長沼城侍屋敷があった一角に位置する米澤家住宅も公費解体の危機にさらされていました。米澤家住宅は長屋門と土蔵が併設された江戸後期から明治初期(その後の調査研究により文化14年・1981年の建築と判明)に建てられたお屋敷です。

米澤家住宅の修復保存に向けて地元ボランティア団体と有志が中心となり、長屋門の修復が行われ、令和3年4月、一般社団法人しなの・長沼お屋敷保存会が発足しました。

修復に先立ち、清掃活動やイベント活動を通して米澤家住宅の周知活動を行うと同時に、信州大学大学院建築学科の協力を得て建物調査を開始。また、米澤家のルーツに関わる長沼の歴史を探求する調査研究も行っています。

これまでの調査研究活動により、米澤家は長沼城の改易後300年以上続いている豪農で、主屋と土蔵群は蚕種業からリンゴ産業の変遷、洪水や地震などの被災を乗り越えた、まさに長沼の歴史そのものと言っても過言ではない文化財級の建物であることがわかりました。

弊会ではこの米澤家住宅を長沼のシンボル「物言わぬ語り部」と位置づけ、伝統構法によって修復し、地域コミュニティ再生成の場として利活用することを目的としています。

また、米澤家住宅の修復で培ったノウハウ(伝統工法による修復、活用方法)を長沼に残るお屋敷の維持継承にも役立てたいと考えています。

さらに、大学や研究団体と連携して歴史・建築・防災などに関する調査研究を行い、その研究成果を最大限に活用し、長沼地区の復興・発展に貢献してまいります。

                               会長 天利一歩

役員

会長(理事長)    天利 一歩(長沼の歴史的景観・建造物を守る会会長)

事務局長(専務理事) 太田 秋夫(Hope Apple代表)

理  事      森   望(信州伝統的建造物保存技術研究会理事)

理  事      小島  武(Hope Apple リーダー)

監  事      青木  恵(Hope Apple 副代表)