保存会設立までの経緯
令和2年(2020年)6月に「長沼の歴史的景観・建造物を守る会」を有志によって発足させ、長野市長沼地区に残る古民家と土蔵の調査を開始しました。
同年6月より、明治26年(1893年)に建てられた米澤家住宅に併設の長屋門の「土壁修復ワークショップ」を、Hope Apple(穂保被災者支援チーム)と共同で計6回開催し、水害で壊れた土壁を延べ参加者数260名以上の参加を得て修復再建しました(写真①~③)。
これは、長沼地区特有の歴史的景観ともいえる土壁の建物を修復する実践を通して、伝統的建造物を承継する機運を高めることをねらいとしたものでした。
長沼地区は洪水による被災の常襲地帯であったが故に土壁の住宅や土蔵群がたくさんあり(昭和20年代にも伝統的建築様式を受け継いで建てられている)、長沼地区特有の景観を成していました。しかし、令和元年東日本台風(19号)の被災で全壊認定を受けた建物の公費解体が進み、その姿が急速に消滅しつつありました。
この土壁修復ワークショップは、災害からの復興をめざす取り組みであり、日本財団からHope Appleが100万円の助成金を受けることで実現できました。
この間、行政による伝統的古民家や土蔵の救済の道を探り、熊本市での施策(古民家修復に対する二分の一助成)を長野でも実施することを求め、長野県の阿部知事に直接申し入れをしました(写真④~⑥)。
さらに長野市に対しても要請しました(11月)。しかし、実現に至らず、公費解体が進むなかで修復保存の方策を探求し続けました。
「長沼の歴史的景観・建造物を守る会」の活動は、長野県および長野県NPOセンターが取り組む「ONE NAGANO基金」の助成を受けて進めてきました。長屋門修復再建のあと、明治初期もしくは江戸後期の創建とみられる米澤家住宅の主屋の保存を重要な取組み課題と位置付けました。(後日、江戸末期の創建であることが判明)
主屋は茅葺(現在はトタン)屋根平屋です。修復再建して後世に承継するとともに、地域のコミュニテイー再生の場として活用すべく所有者の米澤啓史氏と話し合いを重ねました。米澤氏の理解が得られ、周辺の建物群も含めて無償借用の許諾を得ました。
この主屋および周辺の建物群は伝統的建造物としても文化的価値が認められるとして、信州大学工学部の土本俊和教授らによる調査が重ねられました。(写真⑦~⑨)
また、主屋ならびに長屋門・土蔵等の利活用について話し合うワークショップを数度にわたって開催しました。協働の力で修復再建し利活用していくことが目的だったからです。
長屋門の修復再建が終了した令和2年(2020年)11月から12月にかけて、二度にわたって長野市の市会議員と長野市出身の県会議員に招待状を送り、長屋門と主屋の見学会を実施しました。議会開会中にもかかわらず3割に当たる15名の参加を得て、「残して利活用すべき」との感想と激励を得ました(写真⑩~⑫)。
米澤家住宅は通称「米澤邸」と呼ぶことにし、その他の長屋門・家財蔵・米蔵・家畜小屋・作業小屋といった建物群と広い敷地を総称して「お屋敷」の言葉で表現することとしました。
お屋敷を修復再建して利活用する事業を将来にわたって継続的に展開するためには組織母体が不可欠であると考え、令和3年(2021年)4月27日、「一般社団法人しなの長沼・お屋敷保存会」を11名の社員をもって設立しました(写真⑬~⑮)。
お屋敷「米澤邸」の利活用とともに、長沼地区の「魅力」を内外に発信し、人々が集う機会を広げる活動していくためです。これは、ソーシャルビジネスを展開していく「土台」となるものです。
「米澤邸」は「物言わぬ語り部」
同年春から夏にかけて、修復再建のための準備として、一般市民および学生ボランティアを募り、清掃・泥出しなどの作業を進めました(写真⑯)。利活用を提案してもらうためのワークショップも改めて開催し、地元の人たちとともに特に若者の参加を多数得ました(写真⑰)。
地域の歴史や産業を調査研究するなかで、「米澤邸」には長沼地区の産業(養蚕・りんご栽培)や災害を乗り越えてきた歩みを「物語る」遺構があり、地域の歴史を後世に伝えるうえでも、防災を学ぶリソース(資源)としても大きな意味を持つことが、より鮮明になってきました。
さらに信州大学工学部建築学科の土本和俊教授らの調査研究で、主屋の創建は文政元年(1981年)と推定されることも判明しました。伝統構法による土壁の建物であり、その特徴から水害や地震を乗り越えてきたこと、さまざまな修復の痕跡があることもわかりました。こうした詳細について野澤知佳氏が「修士学位論文」にまとめました。その内容を地元の人たちにもしってもらうため令和4年(2022年)4月20日、発表会を開催しました(写真⑱~⑳)。
信州大学工学部による米澤邸の調査は令和2年から長期にわたって進められてきており、米澤邸を伝統的建造物として後世に承継すべきとの視点が明確になって、お屋敷保存会を立ち上げるきっかけを生み出す役割を果たしています。
歴史と文化の薫る長沼地区の「歴史」を刻み込んだ「物言わぬ語り部」としてお屋敷「米澤邸」の存在は大きく、現代に多くのことを投げかけています。
「米澤邸」は旧北國脇街道に面しています。また400年前の長沼城時代(武田信玄)の侍屋敷が立ち並ぶ場所の一角に位置しています。お屋敷の敷地は街道と土塁に挟まれた広い土地でした。長沼の歴史を語る上での要所です(写真㉑~㉓)。長沼の歴史の中での位置づけも可能であり、そのがっしりとした重厚感のある構えは、長沼地区の中でもシンボル的な建造物の様相を呈しています。